Omotesandou = ex Aoyama Hyakunincho

巷で耳にする『八重の桜』が、日本のドラマで、新島八重という人を扱った物語であるのことを最近知ったわたくし。驚いたのは、新島八重が新島襄の奥さんだということ。というか、新島襄に配偶者がいたことでした。毎日銅像を拝んでいたはずなんですけど…、無勉強は恥ずかしいですね。
さて、今日のことも昔の話です。


大好きなアプリ『今昔散歩』で表参道を見ました。東京外の方のために書いておくと、十字の左上に向かえば原宿。左下に向かえば青学があって、渋谷につながります。


明治時代に切り替え。善光寺?


で、江戸時代。なんでしょうこれは?
表参道交差点辺りは、縄文時代にフィヨルド状態だった日本で陸地だったそうです。だから江戸が開かれた時から偉い人が住んでいたらしいですよ。再び大津波に襲われる時は避難所候補になりそうですね。名前から見ると、お屋敷は広島の方々の物でしょうか?大きな敷地の人はいいんです。気になったのは、小さな敷地の人達。敷地があまりに細く、今の青山通りを歩いたら、どんな門構えが連なっていたのでしょうか?大手町付近でこのアプリを見ると、なんとかの守の大きなお屋敷が連なり、その分家のやや小さめの屋敷がありと、勢力構成は分かりやすい。だけど、この小さい敷地は屋敷というより、戦後の闇市、またはそれから発展した商店街の構図に近いのではないでしょうか?よく見ると、小さな文字で「青山百人町ト云」とあります。ググリました。


二代目広重の「 諸国名所百景 東都青山百人町星燈籠」 1861年の作品だそう。
この辺りは屋敷の壁が続く、昼でも薄暗いエリアだったそうです。どれだけ高い塀なんでしょう。勝手なイメージだと、木製の壁を黒く塗ったイメージ。だけど、絵を見ると、せいぜい170cmくらいですよね。細い板か藁みたいな素材がくみ合わさっている感じ。屋根は藁葺きかしら?塀よりも、家に木が生い茂っていたために暗いみたいですね。そして、百人町。新宿の方が有名ですけど、こちらも同じ。当時のご家人は貧しく、この地には江戸城警護の鉄砲隊の人々が軒を連ねて暮らしていたんだそうです。で、普段は傘張りの内職をして青山通りで売ったと。
広重の絵は、本来の七夕と言われるものに近いですよね。当時の浴衣は黒が多かったのかしら?見物している雰囲気ですね。星燈籠ってなんだろ?伊勢神宮付近にあったダビデの星の灯籠のことかしら?と思ったら、秀忠が亡くなった年から上げるようになった提灯のことだそうです。皆が高さを競ったため、遠くから見ると星が出ているように見えたって。素敵。昔はそのお祭りも開催されていたって言うんだから、行ってみたかったものです。
ストリートビューが進化してくれたらいいのにな。

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When I was playing with the app called ‘Konjaku Sanpo (今昔散歩)’, I found very strange residential street on the place where we call Omotesandou now. You can see many small lands for poor vassals. I read they were gun soldiers for the Edo Castle. And the beautiful drawing (1861) of 2nd Hirohige tells us what the place used to be. Interesteing.

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